長倉山寳性寺(ながくらさんほうしょうじ)

長倉山寳性寺由来

はじめに

有史以来すなわち白鳳13年4月西暦685年浅間山の大爆発は、「信濃国灰零草木皆枯」と報告があって以来、天仁元年9月(1108)の上野国司解進状に「麻間嶺猛火嶺を焼き、其煙天に属し砂礫国に満つ」と報告されているが、これは現在の群馬県側に大被害があって、浅間山南麓は其後弘安、大永時代爆発があって、浅間山南麓は獣畜の生息には恵まれた天与の土地といわれ、私牧も盛んに経営されていたため、延喜式による官牧に指定された官牧長倉牧は附近小集落を擁して一大牧地として発達していった。

官牧が設定され、牧の役人、付属の使用人を含めた小駅を形成し、東山道の通路と交易が行われ、貢馬が進行して佐久地方最古の(古宿)が生まれ、天長の頃(830)開発三人と身揺るので、その後の駅の形成がうかがえる。

しかして、長倉駅の発展に伴って、土俗民の神仏信仰が生まれ、長倉神社と寳性寺の建立は首肯かれる。

又嘉応年(西暦1170年)前以後追分諏訪大明神に沓懸住人の奉納大般若経奥書のあることによって寺院をもつ宿場のあったことがうなづかれる。

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寳性寺教義

本寺は大日如来を本尊となし、諸佛菩薩明王を則徳の一一尊として、崇奉し常琉伽の六大の身体と不離四曼の相と妙行相應の三密とを依修して為因の菩提心と根本の大悲と究竟の方使とを以て父母所生の身に即身成仏の極果を獲得するにある。

本宗は大日如来を總徳の本尊両部曼荼羅界の諸尊を別徳の本尊とする弘法大師を宗祖と、興教大師を中高の祖として尊崇し、玄宥僧正を智積院の中興開山とし、真言宗智山派に属し真言密教の深旨を教化の主体としている。

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わたくしたちの宗団

宗派 真言宗智山派
御本山 總本山智積院 京都市東山区東山七条
真言宗の御本尊 教主大日如来
宗祖 弘法大師 宝亀5年6月15日誕生 承和2年3月21日高野山に御入定
中興の祖 興教大師嘉保2年6月17日誕生 康治2年12月12日根来山に入寂

一、おしえ
わたくしたちのいのちが大日如来のものであるという自覚に立ち、わたくしたちのからだところばとこころをととのえ御本尊様の大いなるいのちに生かされていくおしえです。
一、生活の信条
御本尊様に帰依し、縁起の真理をさとり、この身が御本尊さまと一つのいのちであるゆるぎない安心を確立しよう。 正しい智惠によってマンダラ世界に生き真実の自己にめざめて、弘法大師のおしえを現代にひろめよう。こころとことばとおこないを調え共につくしあう和合と創造の生活を実現しよう。
一、宗団の源勢
総本山智積院を中心として全国に約3000ヶ寺 檀家数約30万戸、大本山成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院 別格本山高幡山金剛寺、出流山満願寺、大須観音宝生院があります。

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寳性寺縁起

開基を尋ぬれば人皇95代花園天皇正中年(西暦1325年)長倉郷の領主長倉多聞院の開基で、すなわち長倉山寳性寺と号し長倉一郷の佛信仰の中心存在であった。

開基当初から火災に焼失すること4回を数え、其都度再建場所を移動し現今に及んでいる。

寳性寺建立の位置についていは、正和度、天正度再建は史記に分明せず、元和三十巳年(西暦1618年)再建位置に着いては左の寺記によって稍々推定し得るが適格なる寺場を発見し得ざる現状である。

一、先師秀海再建の場所より少しく東南へひき一宇を建立す。

すなわち現在の国道18号線中軽井沢の西方、発地油井方面に向かって進む道路約100m(通稱)堂坂、元字寺屋敷(公図字)に建立した寺記によって、字前田、城の腰地籍に寳性寺のあった事が推測される。

又、元寺屋敷地籍に再建された寳性寺は、境内2丁四方(4364平方米)に及んだ廣壯寺院で附近に薬師観音堂、龍生院などの堂宇もあったのだ。 現在中部小学校の手前鉄道線路北の旧々中仙道から寺台門から北に進んで寺本堂に達した。これについて横台門の名稱もあった。此の地籍から昭和50年石造香炉の出土があり更に焼失木材炭屋根茅藁等灰の出土によって確認された。更に遺物の所見によって、6~700年前の遺物とも見られ、寺の存在も考えられる。

寛政5年(西暦1794年)前焼失後30年沓掛宿堀地籍に(現在中軽井沢字堀)に稍整った寺を建立した。 しかし弘化2年(西暦1846年)庫裡を残して本堂を焼失して昭和8年(西暦1933年)仮本堂12坪を新築し昭和39年中軽井沢字小岩地籍に新建築移転した。

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現時寳性寺

1.境内地 軽井沢町大字長倉2331番の59、60 反別 三町八反二十七歩
2.本堂 鉄筋コンクリート造 陸屋根 平屋建 195.55
3.庫裡 木造鉛メッキ鋼板葺2階建て 1階239.13 2階45.36 木造瓦葺平屋建54.04
4.物置 木造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建 33.12
※昭和38年5月15日着工し昭和39年5月16日に完成いたしました。

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